すっかり春のある日、夫は仕事先の方から、立派な採れたて竹の子を二ついただいて来た。
ご存知の通り、竹の子を美味しく頂く為には、皮を剥いたり灰汁を抜いたり、下ごしらえが必要である。
最近、めっきり料理作りに興味を持つようになった夫がその役をかって出たのだが、仕事が忙しい時期だったので、それをする暇がない。
帰ってくるたび、竹の子さま、ごめんなさいと言いながら、そのままズルズルと日が経ってしまった。
竹の子さまがすくすく育って竹になり、屋根を突き刺すほどに伸びたら、古い我が家の新しい柱になるね。
新しい形の耐震工事だね。
などと冗談を言い合っていたが、いまいち面白くない。
早くおいしくいただきたい。
そうして八日がすぎたとき、久しぶりに、二人で一日ゆっくりできる日がやって来た。
さあ、竹の子さまの下ごしらえだ。
夫は床に新聞紙を広げ、せっせと竹の子に切り込みを入れ、大なべに入れて、米ぬかと唐辛子を入れ、ぐつぐつぐつ…。
もう一つはてんぷら用に、そのまま皮を剥いていく。
その作業の合間に、夫がぽつぽつと話を始めた。
竹の子を下さったおじちゃんは58歳で、娘さんが6人いるんだけど…
みんながみんなお嫁に行ったと思ったら、みんながみんな帰ってきて、今は総勢15人で暮らしているんだって。
春のお裾分け、嫁さんに持って帰ってやんなって、くれたの、この竹の子。
家族想いの、職人気質ないいお父さんでさ、俺、好きなんだ。
その次は、会社で働く33歳のアルバイトの人の話にだった。
明らかに感性の人って感じ。
劇団員で、夢をずっと追いかけてるんだけど、そろそろ公演が始まるって言ってた。
観に行く?
休憩時間に突然本を出して読んでるから、なに読んでるのかと思ったら、芥川龍之介だった…
あの人、いつか夢叶いそうな気がするんだよなぁ。
そんな風な、強いなにかを感じるの。
竹の子の皮をくわりくわりと剥きながら、夫は、今まで登場したことのなかった人たちのことを話していく。
へえ、そんな人がいたんだね。
面白いね。
なんて、となりで相槌打ちながら、竹の子をめぐる作業がもたらしてくれた、なんでもないような、数年後には忘れてしまいそうな、この静かな時間が好きと思った。
私たちは、いつも話を無音の中ですることがなく、テレビがついていたり、音楽がかかっていたり、音の中での会話が多い。
今日は、ゆっくりしっかりお互いの声を聞きながら、色んな話をすることができた。
お鍋のなかの竹の子は、だんだん部屋いっぱいに香っていって、なんだかホカホカとして、とても楽しい夜だった。
次の日、私は一人で竹の子の煮物と竹の子ご飯を作りながら、一遍の詩のことを考えていた。
「知名」
他のひとがやってきて
この小包の紐 どうしたら
ほどけるかしらと言う
他のひとがやってきては
こんがらがった糸の束
なんとかしてよ と言う
鋏で切れいと進言するが
肯じない
仕方なく手伝う もそもそと
生きているよしみに
こういうのが生きてるってことの
おおよそか それにしてもあんまりな
まきこまれ
ふりまわされ
くたびれはてて
ある日 卒然と悟らされる
もしかしたら たぶんそう
沢山のやさしい手が添えられたのだ
一人で処理してきたと思っている
わたくしの幾つかの結節点にも
今日までそれと気づかせぬほどのさりげなさで
(茨木のり子『自分の感受性くらい』童話屋刊)
この「知名」という詩を覚えてから、知っている人に、気づかぬほどのさりげなさで手をさしのべられていることについて、日々何となく考えが及ぶようになった。
しかし、ハッとしたのだ。
竹の子を下さった方と私はお会いしたことがない。
そういえば、妹の友人から、突然お姉さんに、とプレゼントをいただいたことがあった。
知らない人に、おはよう、と挨拶してもらったことがある。
気分が悪くなって駅のホームで座り込んだとき、助けてくれた人がいた。
風の強い日に、飛んでしまった洗濯物を、そっと玄関にかけておいてくれた人がいた。
考えてみれば、今まで本当に、名前など知らなくても、色々な人にひっそりと、でも確実に、喜びを与えられたり助けていただいたりしている。
今までの数々の優しさたちに感謝した。
私は、竹の子の若い春の香りをかぎながら、このおいしい夫婦の幸せをもたらしてくれたおじさんに、ありがとうの手紙を書くことにした。
そういえば、もうすぐ我が家の結婚記念日だ。
「私たち、竹みたいにさっぱりと、いつまでも青く、共に真っ直ぐ生きたいものですね」
と言うと、
「そうですね、曲がりたくありませんね」
と夫が言った。
明日はきっと私たちが、誰かに、そっと手を添える夫婦でありたい。