ブックフェアが終わってから、ちょうど2週間後にあたる7月28日。
カンカン照りの日差しの下、僕は、重い荷物を携え、広島駅から五日市という駅へと向かった。
閑散とした五日市駅のロータリーに降りると、小さな自動車が一台とまっている。
車の扉には、熊のかわいらしい絵が描いてある。
一瞬にして、「仔ぐま」の車だとわかった。
前日。
広島に着いてから、健さんに電話をかけると、「迎えにいきます」と温かいお言葉をかけてくださっていたのだ。
仔ぐまの健さん。
ミシマ社にとっては、忘れられない、読者との最初の出会いをもたらしてくれた人物だ。
健さんは、2007年6月にミシマ社が刊行した内田樹先生著『街場の中国論』を購読くださり、読者はがきを送ってくださった。
それが、最初の出会いだ。
その後、どうして会いにいくまでの仲になったかというと、仕掛け屋キムラは、昨年の9月にこんなふうに書いている。
ある日書いていた読者葉書のお礼の中に、広島県で広島焼き製造業を営んでいる中川健さんという方がいらっしゃいました。私はお礼を書きつつも、いつか広島へ行ったら、本場の広島焼きを食べてみたい、なんてことも書きました。
その二日後のこと。ミシマ社に、中川健さんから、「広島焼き食べたい、にお答えして、私の手作りの広島焼きをお送りいたしました。」とのメールが。
「なんですって?!!」
ミシマ社騒然。
イジキタナイ私の訴えかけのおかげで、広島焼きを送る羽目になった中川さんのことを思うと、申し訳なさでいっぱいになったのですが、実は同時に感動もしておりました。お礼の手紙を書いただけの小さなこの出版社に、まさか広島焼きを送ってくださる方がいるなんて…。
すぐさまメールで、お礼と、お代についての質問をお送りすると、「お代は結構です。」とのこと…。そんなやり取りをしているうち、中川さんのあまりの気風の良さ、清々しいお心に、勝手に健兄と呼び始めてしまいました。
そして数日後。オリジナルの可愛らしい箱で、瞬間冷凍パックで全国発送もしているという、健兄の広島焼きが届きました。(ミシマ社HP「春夏秋冬」2007・9・11より)
送ってくださった広島焼きのおいしかったこと。
ワンルームの小さな部屋で、メンバー全員、顔をほくほくさせながら食べた広島焼き。あの味、あの感動は、今も昨日のことのように思い出す。
「仔ぐま」という広島焼きを営む健さんは、ミシマ社にとって、まさに「読者代表」のような存在になった。
広島で健さんに会う。
それは、あの日以来、夢のような願いになっていた。
「こんにちは」
仔ぐまの入り口を開くと、満面の笑みを浮かべた健さんが、広島焼きを焼いていた。
「ようこそ!」
真夏の暑さも吹き飛ばしてくれる、気持ちのいい笑顔で、健さんは迎え入れてくださった。
お昼時だったこともあり、8人ほどが座れる店内には、持ち帰りを待つお客さんたちもふくめ、ぎっしり満員。
ほかのお客さんに遠慮しつつ、邪魔にならないよう、健さんたちの広島焼き作りを見学した。
ここでちょっとだけ、広島焼き講座を。
広島焼きは、いまや都内にも何十軒とあり、もはや新奇の感はあまりない。
けれど、広島の中にあっても、仔ぐまの広島焼きは、一線を画している。
その特徴は、「重石(おもし)」を使うこと。
仔ぐまの広島焼きは、丸くのばした粉(生地)に麺をのせ、野菜を盛り付け、肉をのせる。ここまでは、多少の順序の差はあれ、他の店と違いは少ないかもしれない。
けれど、ここからが決定的に違う。
「ひっくり返し、じっくりと水分をとばしながら焼き上げるのです。そのとき、この重石(おもし)を使います」
通常なら、コテを使って、ぎゅっと押しつぶし、お好み焼きをのばすだろう。
それを、仔ぐまでは、一貫して、重石(おもし)でもって、水分をとばしているという。
「push ではなく、pressなのです」
仔ぐまの広島焼きのおいしさの秘密は、ここにあったのだ。この重しを使っているところは、広島でも、もうほとんどないという。
カウンターに座らせてもらい、お箸ではなく、小さなコテを使って、健さんの愛情つまった広島焼きをいただいた。
そのおいしさたるや…。
ぜひ、お店で味わってみてください。
おいしい広島焼きをいただきつつ、お互いに、つもりに積もった話をぽつりぽつりと話し出した。
「僕はどれだけ本に助けられたかわからない」
健さんは、にこやかにそう語り始めた。
「秋葉原の事件もそうですけど、本を読んでいたという報道はほとんどされませんよね。そのたびに、『ああ、本を読んでいればな』と思うんです」
健さんが本に出会ったのは、大学生のとき。
仲のいい同級生が、無類の本好きだった。彼の部屋に行くと、古典・名著といわれる本が、本棚いっぱいにぎっしりと並べられていた。
それを見て健さんは、「正直、悔しかった」という。
と同時に、嬉しかったのは、決して彼が、「これも読んでいないの?」といった上からモノを言うタイプではなかったこと。逆に、「これを読んだらどうだろう?」と、自分に合いそうなものを紹介してくれた。
こうして気づけば、その友達と、どれだけ本を読むかを競争するようになっていた。
その競争が始まって以来、現在に至るまでの20年以上、本を読まなかった日は1日たりともない。
「どんなに頭が痛くても、5ページでも10ページでも読みます」
そう語る健さんは、「本との出会い方」の大切さについても話してくれた。
「友人から、強要される形で、本と出会っていたら、本好きになっていなかったかもしれません。うーん、なっていなかったでしょうね。間違いなく。あそこで、やさしく、本を紹介してくれたから、今の自分はある。だから、本との出会い方って、とっても大事なんですね。結局、人間対人間。尊敬する友人に紹介されたから、本好きにもなれたんです」
「本のことだけはほっとけない」健さんは、子ども連れの親が、お客さんとして店に来ると、ついつい言ってしまうことがある。
「本だけは読もう。漫画でもいいから、本だけは子どもに、読ませてあげるようにして」
この思いの裏には、子どもが好きな人に熱心に勧められたら、きっと本好きになる、という健さんの信念が宿っている。
「どんな駄目な本にも一カ所くらいいいところは必ずある。とにかく、本を読んでほしい」
お話を聞いていて、胸がじーんと熱くなってきた。
本をこれほど愛してくれている人がいる…。
目の前で、本への愛をこんなに熱く語っている…。
もしかすると、本をつくって、本を売ることで、日々の生活をしている僕たち出版業界の人間以上ではないだろうか。
本への思い、本への信頼、本との絆・・・。
全面的に本を信じる人がいる。
直にそうした人の声を聞き、心の底から感じた。
一冊の力を信じているのは、本当はこうした心ある読者の方だったんだ!
それは、なにも、いい本をつくるということだけじゃない。
時には、直接、会うということでしか得られないこともある。
そう思った瞬間、一人の人物のことが脳裏によぎった。
そうだ、仔ぐまの健さんに会いにいこう
「本にどれだけ助けられたか」
健さんは、再び同じセリフを口にした。
「どういうとき、助けられたんですか?」
うーん、と心持ちはみかんだ表情を浮かべた健さんは、会社員時代の話をしだした。
「ちょうど、バブルがはじけ、会社がリストラをしだしたんです。
『される』ほうならよかったんです。けど、そのときの僕は、『する』ほうの立場にいて・・・。それが一番つらかった。すごくストレスだった。そのときに読んでいたのが、村上春樹さんの『ねじまき鳥クロニクル』や『世界の終わりとハード・ボイルド・ワンダーランド』。それに夏目漱石の『彼岸過迄』など。こうした本に書かれている話が、『実によくわかった』。自分と共通する心情や動きが書かれていて。こういう出会いが僕を助けてくれたんです」
広島焼きを食べ終わり、静かに健さんの話に耳を傾けていた。
気がつけば、お昼時が終わった店内は、僕以外のお客はいなくなっている。
どういう話の流れで、健さんのお店の話になったかは覚えていない。
ただ、鉄板をきれいにしながら、健さんはぽつりと語った。
「お店を始めてからは、お客さんが来ない日も当然、あったんです。
1日、二人しかお客さんが来なければ、当然、赤字です。それでも、お店が始まる前、そして閉店前には、必ず掃除をする。ぴしっときれいに整える。それが、最初は、辛かった。二人しかお客さんが来なかったのに・・という思いが拭えない。
けれど、だんだんわかってきたんです。
見えないことをやり続ける。
それは、ちゃんとお客さんに伝わる。
そう信じて、今はやっています」
とってもくさい言い方になるけど、この日、何度目かの涙を心の中で流した。
広島に来てよかった。
こういう方がいてくれているからこそ、もっともっと、いい本をつくらなければいけない。
僕は甘かった!
翌日、広島から戻り出社すると、健さんから冷凍の広島焼きが、社員全員分送られていた。早速、それをお昼ごはんに食べてみた。
一口目を口にすると、ごつん、という音が頭に響いた。
ごつん、ごつん。
拳骨で殴れたような思いが、じんわり口の先から全身に広がった。
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