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介護というと、認知症の高齢者の問題がすぐイメージされることも多いのではないか。
むかし、「ぼけ」とか「痴呆」とか呼ばれたものである。
年をとる、さまざまなことを忘れる、思いもつかない行動をとる、その後片付けが大変、
といったのが漠然とした認知症の印象だ。
でも、介護関連の編集をしていくと、
いくつも具体的な行動が「事例」としてあげられている。
ご飯を食べたか忘れてしまって、何度もねだりにくる。
年齢を尋ねると「18歳」で、生理だからと入浴を拒否する。
排泄物を壁に塗る。
どこまでもどこまでも歩いていって帰れなくなる。
話をしても、意思疎通が図れない。
治療のための薬を飲んだか忘れてしまう。
こんなのはごく一部だ。
同じことを自分がしようものなら、
叱責されたり、殴られたり、
家族や知り合いからひどく驚かれたり、困惑されたりするだろう。
それが、家庭の中で、家を支えてきたお年寄りがするのだ。
年をとったために。認知症だから、と。
そういえば、私の幼なじみの家のおばあちゃんもそうだった。
80歳をこえてから、いま住んでいる嫁いできた家ではなく
生まれ育った実家に帰りたい、帰りたいと言ってきかなかったそうだ。
しかたなく家族が車で30分ほど離れた実家のある場所につれていった。
そこには新築の建物、区画整理で過去のおもかげはなく、
おばあちゃんは「ここじゃない」といって黙ってしまった。
しかし、住所はそこなのだ。家族はどうしようもない。
おばあちゃんはいまの家に戻ったが、それでもまだ「帰りたい」と言っていたという。
認知症は、若くて健康な人間にはわからないことが多すぎる。
わからないだけでなく、認知症の人が行う行動の突拍子もなさに面喰らい、
「ついていけない」と思う。
介護の仕事についている人には、それだけで頭が下がる。
そして、なぜ人は認知症になるのか、考えてもわからない。頭がいたい。
認知症の高齢者について、効果的な介護のしかたとして
バリデーションというのがあることを知る。
アメリカのナオミ・フェイルが提唱したケアの方法だ。
認知症のお年寄りの不可解な行動も
「価値があることとしてとらえ、
それに対等に会話をすることでコミュニケーションをはかる」
というのが大きな考え方だそうだ。
そして、認知症とは、
その人が人生で解決できなかった苦しみや
悩みを解決しようとして出てくる症状だというのだ。
それを介護する人が共感し、肯定していくことで、症状が改善するという。
たとえば「ご飯はまだ?」と何度もきいてきても。
「食べたでしょ」とか頭ごなしに否定したり、訂正したり、しかったり、しない。
バリデーションではこう対応しろといわれる。
座るなり、かがむなりして、目の高さをそろえ、
精神を集中し、やわらかい、聞き取りやすい声で
「ごはんが食べたいのですか」(リフレージング・繰り返し)
「いままでどんなものを食べていましたか」(レミニシング・思い出話)
「ご飯は何が好きですか」(レミニシング)
と、相手の話をきいて、相手に共感することをめざす。
そして、きわめつけに、タッチングといってスキンシップをはかるのだそうだ。
認知症の人は感情が少ないといわれる。
だが、タッチング。ふつうに考えても、安心する行為ではないか。
ここまで書いていてはっとしたのだが
私と同い年くらいの若い人でも、
感情がないかのように働いたり、コミュニケーションがとれなかったりする人がいる。
決して攻撃的ではないのだが、「何を考えているのかわからない」のでちょっと怖い。
その人にスキンシップをしてみたら。
相手はともかく、触れた自分の手が相手の体温を感じて、安心する。
あるいは、自分自身でもいい。
落ち着かないときや不安にかられたとき、誰かにそっと触れられたら。
認知症の人の世界は特殊なものと受け取られがちなのだが
現場にいない私には、ごくごく自然な人間の生き方の延長線上にあることにも思えた。
血が通った人のことを大切にする。
それはご飯を一日きっちり3回食べることを守るのより重大なのではないか。
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